❍専門学校時代についてお教え下さい。
本校に入学した動機や決め手は何でしたか?
卒業後に自分で飲食店を開くことを決めていましたので、神奈川一番の老舗校であり、一流の講師陣の元で調理を直接学べ、理論も身に付き、1年間で調理師免許が取れる事は大変魅力的でした。
体験入学&学校説明会にも参加させて頂き、充実した学校の設備や先生方の温かいサポートに触れ、安心して学べることを確信し入学を決めました。
❍どんな学生でしたか?どんな事が為になりましたか?
どんなことも聞き逃さずに吸収したいと言う思いがあり、授業には真面目に取り組みました。自分で言うのも変ですが・・・(笑)。
調理実習は勿論のこと、座学(特に食品衛生学など)で学んだ調理以前の食に関わる様々な知識は、店を営業するうえで今でも大変力になっています。
❍特に印象に残っている専門学校時代の話があったらお聞かせ下さい。
同級生の大半は18歳。私が入学したのは社会人経験後の45歳。不安がなかったと言えば噓になります。
いざ入学してみると、60歳代の先輩方もおり、若い同級生からはパワーをもらい、年代の近い仲間とは共に志を持って刺激し合い、先輩方には経験値からの様々な学びをいただきました。
たった1年とは言え、とても刺激的で中身の濃い学生生活でした。
卒業して8年が経ちますが、今でも(特に独立した同業者と)交流を持てることは、自分にとって大切な財産となっています。
❍お店を始めるきっかけは何でしたか?
また独立しようと思い立ったのはどのタイミングでしたか?
社会人時代(異業種)から、外食が好きで様々な飲食店を訪れていました。
そののち飲食店でのアルバイトを重ねて行く中で、「いつか自分で店をやりたい」と夢を持つようになり、そこに向かっての準備を少しづつ始めます。そんな中、洋食シェフのご主人と接客担当の奥様がご夫婦お二人で切り盛りされている飲食店に出会い、度々伺う事に。
ご夫婦ならではの絶妙なコンビネーション。
何よりお客様との心の距離が近い。
店を持つのに「これが自分にとっての理想のスタイルだな」と具体的に思い描くことに。
幸い主人の賛同も得られ、定年退職の時期に合わせ開店することを決めました。
❍現在のお店の名前の由来をお教え下さい。
piccolo bar 117(ピッコロバールいちいちなな)
piccolo=小さい、bar=バー、117=鎌倉市由比ガ浜1-1-7(地番に敬意を表し、この地に根付いた店になるようにとの思いから)。
❍その様なコンセプト、またはイメージのお店ですか?
(お料理のジャンルやお店の雰囲気についてなど)
バルスタイルの小皿料理からお食事まで、イタリアンをベースに、ひと工夫した独自のメニューをリーズナブルな価格で提供しています。
店を作るにあたっては、「ホテルのラウンジにいるようなくつろぎ」を意識して内装設計をお願いしました。(座席はゆったりと、全席禁煙で喫煙ルームを店内に設ける、等々)。
❍オーナーシェフになって良かった事、またその逆もお教え下さい。
「食」に囲まれて仕事が出来る事が私にとって最大の幸せです。
「自分が行きたくなるような店」を実現するのに、それまでの経験値も活かして自分の意志で実践出来ることは喜びです。
しかしそこに「経営」と言う壁があります。
店の経営そのものも、調理の場面においても(特に一人シェフの自分にとって)、「やりたいこと」と「出来ること」、「こちらがしたいこと」と「お客様が求めていること」が、必ずしもイコールではないと言う事を実感し、8年経った今でも日々葛藤しています。
❍今後オーナーシェフを目指す人へのアドバイスがあればお教え下さい。
飲食を取り巻く環境は、ここ数年で様変わりしました。
特に感染症の流行がもたらした変化はとても大きく、誰しもが予想できず苦戦しています。
飲食店開業を目指す人にとって今は決して易しい環境とは言えません。
しかし、目標に向かって一層腕を磨くチャンスと捉え、今後市場がどのように変化するのかアンテナを高く張り続ければ、「従来型の飲食店」なのか、「新しいスタイルの飲食店」なのか、アイデア(やり方)次第で勝機は必ず見えて来るものと思います。
頑張って下さい。
❍お店の宣伝をお願いします。
「大人のくつろぎ空間」をテーマに、居心地良い店づくりに日々努めております。
ご家族やお仲間との楽しいひとときに、たまにはお一人で気ままに・・・と、その日の気分やスタイルに合わせて、お気軽にご利用下さい。
国立音楽大学声楽学科卒のマエストロ自らが、カンツォーネの弾き語りも致します。
<過去のテレビ取材>
2021.6.5(土)18:00~18:30
テレビ朝日「人生の楽園」神奈川県鎌倉市編 ~海風薫るイタリアンバール~
2021.9.22(水)11:40~
テレビ東京「昼めし旅」(ゲストコメンテーター)チャン・カワイ