❍専門学校時代についてお教え下さい。
本校に入学した動機や決め手は何でしたか?
学校が実家から近く、通学に便利だったのが一番です。
学費も他の学校より遥かに安かったので決めました。
❍どんな学生でしたか?どんな事が為になりましたか?
まじめに素直に言う事を聞く方ではなかったと思います(笑)
でも実技だけはとにかく最高点、学科は全て赤点と言った感じでした。
当時担任から、講師のシェフに対する姿勢や料理に対する心構えを学んだ事を今でも覚えています。

❍特に印象に残っている専門学校時代の話があったらお聞かせ下さい。
18歳で在学時、学校の実技や実際のレストラン業務でも、それなりに出来ていたとは思いますが、自分の狭い人間関係だけの世界で調子に乗っていた部分もあり、俯瞰的(ふかんてき)に見てその時の立ち位置を、柔らかな言い回しで気付かせてくれました。
それだけが決め手ではありませんが、その後に東京の三軒茶屋のペペロッソと言う店に飛び込むことになりました。
❍お店を始めるきっかけは何でしたか?
また独立しようと思い立ったのはどのタイミングでしたか?
イタリア修行時、ミシュランの星付き店でセコンドシェフをやらさせて頂いていました。
そこに今の店の前オーナーが食事をしに来られ、「うちの店でシェフをやってくれませんか?」と言うお話を下さいました。それと同時に「追々オーナーを引き継いでみてはどうか?」(前オーナーはご高齢だった為)と言うお話も頂いたのがきっかけです。

❍現在のお店の名前の由来をお教え下さい。
「リストランテ カシーナカナミッラ」前オーナーの娘さんの名前です。
オーナーを引き継ぎ独立する時に名前を変えようかと迷いましたが、前オーナーへの敬意や自分を育ててくれた店名を自分で消すのもどうなのかと思い変えない事にしました。
イタリアでは、凄いモダンなレストランでも代々引き継いだおばあちゃんの名前の店が多数あった事も変えなかった理由の一つです。
❍その様なコンセプト、またはイメージのお店ですか?
(お料理のジャンルやお店の雰囲気についてなど)
クラシックなイタリア料理に和と南米のエッセンスを加えたイタリアンです。
イタリア トリノの星付き店リストランテ ラ バリックで4年半、そしてセコンドシェフとして店の中枢を担ったシェフ岡野健介の作るイタリア料理。
日本の豊かな食材を組み合わせ、イタリア料理の知識と技術に、南米ベネズエラで生まれた日本人と言う豊かな感性を加え構築したイタリア料理をお楽しみ下さい。(店PR文より)

❍オーナーシェフになって良かった事、またその逆もお教え下さい。
私は雇われてシェフをやる事は美味しい料理を作るうえで良い事だと思っています。
自分の全てを料理だけに集中する事が出来るからです。
オーナーシェフは料理以外の業務も沢山あり、考えたら24時間きりがないほどです。
ですが細部にわたり気配りをし、お客様に満足して頂けるようにお返し出来た時の達成感と言うのはとても幸福な瞬間です。
人との出会いと繋がりを大切にし、それによって自分に合った道をみつけ、進み、踏み外したり、戻してもらったりしながら目の前の一日を必死に生きるのが大事な事ではないかなと私は思います。
ぜひお店に遊びに来て下さい。
